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第7話 友人という仮面のひび

Author: 6jay
last update publish date: 2026-09-16 23:05:04

「10年間?」

紗月の声が、わずかにかすれた。

怜司が一歩下がった。近くにあった熱が引き、玄関の冷気が肌に触れる。

「お前が19歳だった春から」

「なのに、一度も言わなかった」

「言ったら、隣にいられなくなる気がした」

「だから友達のふりをしてたの?」

怜司は短くうなずいた。

「友人の立場は安全だった。誰を好きなのか真っ先に聞けるし、危ない人間が近づけば、自然に止められた」

「止めてた?」

紗月の顔から、残っていた熱が消えた。

怜司は紗月を見たまま続けた。

「大学で、しつこく酒を飲ませようとしていた先輩。入社したばかりの頃、取引を口実に連絡してきた室長。調べて問題のあった人間は、お前の周りから排除した」

「人に、排除したなんて言葉を使わないで」

声が冷えた。

「誰に、何を言ったの?」

「先輩の暴行歴は学生会に渡した。室長が接待費を着服していた資料は、会社の監査部に送った」

「あの人たちが悪いことをしたのと、怜司が私の陰で勝手に決めたのは、別の話だよ」

「わかってる」

「わかってるなんて、初めて聞かされた相手の前で、簡単に言わないで」

怜司は口を閉じた。紗月がまた話すまで、指をゆっくり握っては開いていた。

「私が頼んだ?」

「いや」

「だったら保護じゃない。干渉だよ」

その声が、玄関にはっきり響いた。怜司の指がゆっくり丸まった。

「わかってる。それでも、止められなかった」

「どうして? 私が怜司の持ち物だから?」

「自分のものに、したかったから」

しばらく言葉が出なかった。怜司は、見守った時間と監視した時間を区別せず、同じ言葉で語っている。

「契約書も、そのために作ったの?」

「お前から俺のところへ来てくれる、機会だと思った」

「助けてって言ったときも、私がどれだけ怖がってたか、見えてなかった?」

怜司の目が揺れた。

「見えてた」

「それでも利用したんだ」

「ああ」

視線が下がった。短い肯定が、むしろ痛かった。優しく慰めてくれた手と、契約書を用意した手は、同じだった。

「機会って?」

「ほかの誰かを選択肢から消して、俺だけが答えになる機会」

紗月は彼の胸を押した。

「それを愛なんて呼ばないで」

怜司はおとなしく下がった。

「どう呼ばれても構わない。ずっとお前が欲しかったことは、もう隠さない」

「そんなことを言って、今夜も同じベッドで寝ようっていうの?」

「嫌なら、俺がリビングで寝る」

紗月は目を細めた。昨日は生活の痕跡を理由に同じベッドを譲らなかった男が、自分から引いている。

「急に良心が芽生えた?」

「今、お前が俺を怖がってるから」

それが余計に腹立たしかった。紗月は廊下を進み、主寝室に入った。ついてこない怜司を、入口から振り返る。

「私が追い出されたみたいに、別の部屋を探す理由はないから」

「なら?」

紗月は、ベッドの真ん中にある飾りのクッションを、一列に立て直した。

「左は私。右は怜司。この線を越えたら、すぐ出ていく」

彼の目が、クッションの壁と紗月を行き来した。

「わかった」

「ドアも鍵をかけないで」

怜司は扉を全開にし、電子錠の表示を消した。

紗月は先に横になって背を向けた。やがて右側のマットレスが、そっと沈んだ。怜司はクッションに指先さえ触れなかった。紗月は開いた扉を確かめてから、ようやく布団を顎まで引き上げた。怜司も照明を落とす前に、もう一度境界を見た。

「怜司」

「うん」

「今日は、私が聞いたことにだけ答えて」

「わかった」

「傘を差してくれた日も、計算してた?」

長い間のあと、返事が来た。

「違う。風邪を引くと思って」

「コンペのとき、コーヒーを置いていってくれたのは?」

「徹夜して、朝も食べてなかったから」

それ以上は聞けなかった。いい思い出まで全部嘘であってほしいのか。それだけは本当であってほしいのか、自分でもわからなかった。

暗闇に、二人の呼吸だけが聞こえる。

「紗月」

「話さないで。今は聞きたくない」

「わかった」

怜司はそれ以上、何も言わなかった。

紗月は目を閉じても眠れなかった。クッション一つを隔てても、体温を感じる。優しかった友人と、ひそかに自分の選択を奪ってきた男が、どうしても一つの顔に重ならない。

しばらくして目を開けると、扉はまだ開いていた。怜司も、約束した線の内側で動かずにいた。

逃げ道はある。だからかえって、告白が重く残った。

怜司もなかなか眠れないらしかった。紗月が寝返りを打つたび息を潜め、クッションが揺れると手を自分のほうへ引いた。その小さな動きまで聞こえる。

二人とも眠ったふりだけして、夜明けを迎えた。

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